星を継ぐもの

*星と共に過ごす* とある占い師の日常 

お金の法則、健康に生きること。

ある女性の話を聞いて、凄く共感したこと。



彼女は、会社員時代、所属する課で行われる飲み会が、非常に嫌だった、
という。



士気を高めるとか、みんなで労い合うような飲み会ならいいけど、
その課の飲み会というのは、


あるお酒好きの上司がいて、
その人のお誘いについて行かないと、
村八分にされるような、窮屈な雰囲気があったこと、
飲み会の中身は、ほぼその上司の語る悪口や、

愚痴を聞いて、迎合しなければならず、
会が終わって返って家に着くころにはぐったり、


時には蕁麻疹が出ることもあったとか。



彼女は毎回、


(こういうのも思い切って断れないなんて、自分が情けない)


と、泣けてくるし、


(でも、断ったら先輩などに何を言われるかわからない。)


と、悩んでいた。



(だけど、そもそも、
飲み会断っただけでおかしくなる人間関係って、どうなの?)


(飲み会行きたくない、行くのやめよう。)


(もう、この会社、辞めちゃおう!!)



遂に決断した彼女は、会社を辞めて、
今の仕事に就き、
ストレスも無くなって、
無駄な出費が無くなって、
お金が沢山入ってくるようになった!!


と言っていた。




以前は、飲み会のストレスを解消させるべく、
無駄にカフェに行ったり、
対してほしくないものを買っていたりと、
お金が出ていくパターンだったけど、
そういうの辞めたら、
お金の流れが良くなって、体調も良くなった!!



という話だった。






私も、新卒で会社に入った頃は、似たような状況だった。


そもそも、お金の使い方がわからなくて、
高い化粧品とか、
モノとか、
販売員さんに言われるままに買っていたと思う。


日々のストレスを、友達のように感じる販売員さんに話して、
少しは救われることもあったけど、
よく考えたら、そんなに高い化粧品なんて、無くたっていいし、
ストレス自体を無くしたら、そのお店にだって行かなくていい。




あの新卒の頃に比べたら、
私の人間関係は、かなり変わったと感じる。



よく考えたら、そんなに沢山のお友達とか、
知り合いだって、いなくていい。


本当に大事で、心に浮かぶ人。
そういう人と、付かず離れず、
必要な時に繋がれたら、いいんじゃないか。



そういう風に、思うのです。




猫ちゃん


今日、縞模様の猫が、私を追いかけてきてくれた。



“そんなに気にすることないじゃない。
それより、ワタシと遊ぼうよ!”



そう言ってくれてるみたいな彼女は、
珍しくメス猫だった。


私は、いつもはメス猫には評判が悪い。
触ろうとすると、露骨に嫌な顔をされたり、
手で叩かれたりしたこともある。



だけど彼女は違った。



私を追いかけ、
どこまでもとことこと付いてきて、
可愛い愛想を振りまいて、
チャーミングなスリスリをみせてくれた。



私は彼女に教わった。



そう、
焦っちゃうからダメになるのよね。
あなたみたいに、

優しくにゃーんと鳴いて甘えて、
可愛くしてるのが、一番なんだよね。



ありがとう、猫ちゃん。


生きてる限り、大丈夫

カノンロック


何といっても、
この動画がダントツで一番好きです。



今日も久しぶりに聴いて、
エレキギターの音が、
ズギュゥゥウウウーーン!
って、延髄を駆け抜けるのを
感じました。



そして、曲を通して感じたのが、


「生きてる限り、大丈夫だ」


ということ。
命ある限り、
どうにかなるし、
まだまだ、やりたいことやれるし、
世の中、棄てたもんじゃない。



大丈夫、また立ち上がればいい。
やり直しがきくんだ、
生きてる限り、
命のある限り。





Canon Rock



guitar



命には、サイクルがあって、
好調に成長する時期もあれば、
殻にこもって、成熟をひたすら待つ時期もある。


運のいい流れの時もあれば、
真冬のように、どうあがいても育たない時期がある。
それでいいんだ。






カノンを聴くと、
内面が「整う」感じがします。
カノンとは、元々物事を「測る」という意味があったり、
カノンの旋律は、数学的に見ても完ぺきだと言われています。




宇宙のリズムと繋がっているのかもしれないですね。



レジ袋廃止!

そうなんです、


って、他の人の書いたブログを見て共感しました。



何か
レジ袋廃止になってから、
より一層、世の中が殺伐としてきている!!


そんな風に感じるこの頃です。


今まで当たり前のように、店の人が袋に詰めてくれていたのに、
今では、商品だけホイ、って渡されて、
後ろに人が並んでるのに、
急いで手持ちの袋に詰めなければいけない、
あの気まずさ!!(>_<)


愚痴になってしまいますが、ここで敢えて発信します。
せめて、無料のあの透明な薄いポリ袋置いて欲しい。
お願いします。



ゆくlogくるlog

ブログの世界を何年も続けてみていると、
やはり変遷というか、流れがあるな、と感じる。
ある時は人気ブログとして、大きな存在感のあったブログが、
何年か後にそっと閉鎖したり、
書き手の都合で更新されなくなったり、
事情は様々であるが、好きだった、心の支えだったブログが消えてしまうのは、
やっぱり寂しい。


先日、前々から愛読していたブログが相次いで閉鎖、更新停止になった。
つぶさに読んでいると、やはりちょっと前から、
「ほかに書く場所を検討した方がいい時期になってきたかもしれません・・」
という主様の記述があったり、
兆候のようなものが、今思えばあったな、と思い出される。


コメントなどのやり取りが無くても、
そのブログが存在するだけで大きな支えになっていたり、
あの方どうしてるかな、とか、
あの方ならどうするかな、
と思いをはせることが出来る。
その人の存在が、心の中で鮮やかに実体化されるのだ。
だからブログは不思議だと思う。


顔はわからなくても、想像の中で生き生きと再現できるので、
現実の人以上に、身近に感じたり、共感できるような気持ちになったりできるのだ。



去っていくブログの他に、
先日、嬉しい“再会’もあった。
あの人ずーっと、見てないな。
というブログが、またまた出てきてくれるようになって、
再び、楽しい時間がまたやってきて、嬉しかった。