星を継ぐもの

*星と共に過ごす* とある占い師の日常 

もしも自分が神様の秤からこぼれても

「法滅尽経の話」より



仏法が滅しようとする時、


女人は精進して常に徳を積むが、男子は怠けて信心がない。


仏法が滅ぶ時、天の神々はみな涙をこぼし、泣き悲しむ。



作物という作物は実をつけなくなり、


疫病が流行し、死んでいく者も多くなって人々は苦しむ。



税金は重くなって、道理に合わない税のかけ方をする。



悪人が海の砂の数より多くなり、善人は一人か二人になる。



世界が最後になる寸前には、日月が短く、


人の寿命も段々と短くなって四十歳で白髪になる。



男子は淫乱にして、精も尽き若死にするようになり、


長生きしても六十歳ぐらいであろう。


女子の寿命は八・九十歳、あるいは百歳となる。




時に、大水がにわかに起こり、


富める者も卑しい者も水中に漂い魚の餌食となるであろう。
菩薩や聖者たちは、魔僧たちに追い立てられ、福徳の地へ行く。



菩薩や聖者たちは、しっかりと教えを守り、戒めを守り、


それを楽しみとする。
その人たちは寿命が延び、諸天が守って下さる。
そして、世に月光菩薩が出て五十二年の間、仏法を興す。
しかし、段々と滅っしていき、その文字を見ることも出来ないのだ。



修行僧の袈裟の色も白に変じる。



仏法が滅する時は、例えば油燈の灯が油のなくなる寸前、


光が盛んになるのと同様である。
これ以上は、説いて聞かせることが出来ない。
その後、数千万年たってから、弥勒菩薩が下ってきて仏となる筈である。



daianzi.com より








確かに、言われてみると現在の世相は


お釈迦様の残したお言葉に添っているように感じられます。



かつては、お店に行っても、近所の方とちょっと話すにも、


もっと温かみがあり、


「人を人とは思わない」ような無礼なことをする人は、


少なかったように感じます。




ネットニュースや、


テレビから聞こえてくる事件・事故も、


この頃は悍ましく、


(人がそんな恐ろしいことをするのか)


とゾッとするようなこと、



または


(どうしてこの場面でこんな出来事が)


と考えてしまうような事件・事故が多い気がします。




かつては「嫌なことが起こっても、信じられる何か」や、


「もっともっと良いことが世の中にはあるのだから」


と無条件で信じることが出来てきました。



その大切な「何か」が人の中から失われつつあるのが、


現代かもしれません。




スマホもネットも余り普及せず、


今より不便で嫌なことも多かったかもしれません。


むしろ今の方が、一見自由で、


個人が言いたいことを言えているように見えますが、


童話:「モモ」のように、


灰色の男たちから大事なものを、


代わりに奪われている気がしてなりません。








「大切なものを奪われているのに、大半の人が気が付かない」。



健康、財産、大事な人。



これら生きる基盤が、【守る為に】という巧妙な嘘によって、


根こそぎ盗まれているのです。



それを、指摘しても気付かないどころか、


「嘘を真実だと信じてやまない」ために、


こちらが敵視されてしまう。



日月神示では「何もかもが三分の一に」と言われています。


実際は、もっと少ないのでしょうか。



母が私に言うのですが、



「先のことを考えてクヨクヨしたって仕方ない。

起こる時は起こるんだから、その時何とかするしかない。」




本当に、これが答えだと思うのです。




空を飛ぶ鳥は、種を撒いたり畑を耕したりしません。


それでも、生きるのに必要な翼を与えられています。


今日刈られて、明日燃やされてしまう雑草ですら、


ソロモンの栄華にも劣らない、野の花の装いが


与えられています。


それなのに、私達人に何も与えられないことが


あるでしょうか。




こう考えると、何とか、どうにかなるのでは…



としか思いません。




また、私は、よりステップアップするために、


新しいパソコンを手に入れました。


これから、操作にも慣れていかないといけません。



目の前の、そういう小さなことこそが


私達を付き動かして、生かしてくれています。



細部に神は宿るといいますね。




大きな天の神様を仰ぐことも、時には重要です。



ですが、日常の中にある小さな”神様”を愛でて、


今を懸命に生きることが、


私達の大事な天命ではないでしょうか。