しょせん学校は大量生産型
オンライン家庭教師きぼう 様
「不登校」「転学」「退学」などは,
「自分を守る行動」だと,最近つくづく思う。
教員時代に関わった生徒たちを思い出すと, 繊細で優しい子が多かった。
学校が目指すことに合わない,学校の生徒集団に合わない……。
「合わない」ことを敏感に察知する。
「合わない」のが悪いのではない。
「合わないところにいる」のが良くない。
ある程度なら合わないことも自身の学びとして受け入れ,
乗り越えていくことによって強くなっていくが,
その子の限度を超えると,つぶれてしまう。
この3年間で,感染症・シェなどで 私たちを取り巻く環境が大きく変わった
多くの生徒の実情が学校と合わなくなってきている
教員不足の原因の一つであるかもしれない。
少なくとも当塾の講師たちは,
平和な世であれば 教師として学校で多くの生徒と共にいたはず
学校も,大きな転換期を迎えている
(ここからは私自身のお話です)
コロナ前に久しぶりに中学時代の恩師と話す機会があって、
途中まではとても楽しく昔話に花が咲いたのだが…
先生の言葉
「そういえば、あなたって昔から変わった子だったよね。
今でも身近な人から言われない?」
(注:私の出身地は物凄く保守的&閉鎖的で、少しでも個性的だったり、
集団からズレた性質を持っていると
『おかしい』『○○(しょうがい)持ちじゃないの?』と、
すぐ言われるような場所です。
…中学の頃は…少なくても私が学生だった頃は、
何度も話す機会があり、その度に親身になってくれて、
『あなた方は、先生、先生、って来てくれるから可愛いと思っていた』
と当時のことを話してくれたのに、
私が大人になったから本音が出た?
今でもこの言葉が引っ掛かっていて、
「先生の見ている世界が狭いから、そう感じるんじゃないですか。
もっと広い世の中を見て、勉強し直してください」
とでも言っておけば良かった。
しかし、多勢に無勢、「先生側」の声は大きく強く、
人数が圧倒的に多い。
私の声は、永遠に葬られると感じていた。
ブログ上部に貼ったTwitter記事、
「教員時代に関わった生徒たちを思い出すと,
繊細で優しい子が多かった。
学校が目指すことに合わない,学校の生徒集団に合わない……。」
…そんなことを言って下さる教育者がいるのだと思うと、
捨てたものでは無いが、
とにかく学校は、
この狂った世の中で奴隷になる人間の生産工場、
飼育場、そんなところだと今になって感じる。
感受性が麻痺していて、
「これはどうしてこうなるのですか?」
という繊細な問いには答えられない先生ばかり、
同級生も、
『そんなこと、いちいち気にするオマエって暗いよな』
とか
『気にしないで明るくいこうね』
とか。
…まともにあの場所にいて、あの空気の中で過ごしていたら、
苦しくなって、頭を垂れてしまう。
それでも、平気なふりをして振舞わないと
『普通じゃない』
と言われてしまう。
大量生産型のニンゲンを作るために建てられた学校。
恐らく、今回の毒を免れた人は、
≪普通じゃない≫と言われ続けてきた人ではないか。
頑張って適応しようとしたけど、出来なかった。
親や周囲から、『何でアンタは、そうなの?!』と言われた。
それでも何とか、しがみついてきた。
そんな人に光が当たります。
働き方が、社会が変わるのです。
楽な状態がいつまでも続かないように、
苦しい、辛い状態だって、いつかは終わり、
状況が変わるのです。