星を継ぐもの

*星と共に過ごす* とある占い師の日常 

NOとは言えない代わりに


ネット上で、よく見かけられる声だが、


『飲み会が無くなったのが嬉しい』


というもの。






あまりに実感たっぷりに、開放感に溢れてるものだから、


私もつい(そうだよね~)って思ってみたのだけど、


よく考えたら社会人になってから飲み会が嫌だと感じたことは


あまり無かったように思う。




仕事の一環だから、出るものだと思っていたのかもしれない。




それが、今の時代ではそういう風に思われなくなってきたのかもしれない。


『なくなって嬉しい』という気持ちが芯からわかる反面、


(そんなに嫌だったのか~)


とちょっと不思議に思う面が両方ある。



これも時代の風刺なのか…。






※ここからちょっと辛口になります※


     (´・ω・`)
   /     `ヽ.   お薬増やしておきますねー
  __/  ┃)) __i |
/ ヽ,,⌒)___(,,ノ\




ところで、中には


『冠婚葬祭が簡略になって良かった。


この社会に巣喰うがん細胞が無くなってくれて良かった』


という、ちょっと強い声もある。




私も、実際自分が“田舎の冠婚葬祭”で、


三日三晩泊まり込んで色々やらなきゃいけなかった経験をして、


(こりゃぁ、がん細胞だわ!)って納得できる。







万事合理化、簡略化がなされているどこかの県の方式が羨ましかった。



『もう、我慢して嫌なことを続けるのは辞めようよ…』



この疾病がそう言ってるわけじゃないとは思うのだが、


多くの人の心の中に隠されてきた言葉に出来ない思い…


『もううんざりだ!』


っていうものが次々に消えていき、


無くなっていくのを見ると


(起こっていることは、悪いことだけじゃないんだ)


と思える。







かつて学校を出て会社に入った頃、


最初は会社の方針ややりかたが嫌だと言っていた同僚が、


次第に会社に染まり、


まるで会社の方針が自分の考えそのもののように、


変わって行ってしまうのが不思議で、嫌だった。




結構世の中の大半は、カンタンに染まって、


自分の考えや生き方を簡単に放棄出来てしまう人達なのか


と感じていた。





だから、


NOと言えない人たちの為に、


疾病という大きな力が、



彼らの潜在意識から生まれたのではないか?



そういう仮説が出てきた。



人って、結構そういう力を持っている。



これは確信がある。




無意識にずっと思い続けると、実現するのだ。



                      




もしかして不謹慎で強烈なことを書いてしまったかもしれないが、



≪命懸けになる場面を



間違ってはいけない≫。




嫌なことを我慢して、命懸けで無理して続けてしまったら、


殺されるのだ。


なぜなら我慢に命を懸けてしまってるから。




もう、やめようよ、嫌な我慢なんて。


≪自分の本当の気持ち、生き方、大切にしたい≫


に、命を掛けよう。



どうせなら、そうしよう。


人生、1回きりなんだから。